ブックタイトル広報あぐに4号

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概要

広報あぐに4号

昭和57年7月1日粟国村広報(第4号)感慨無量の粟国赴任(四年担任)田盛千恵子「ゆーちきよーやー。村中の人々うちするて東ぬ田ぬ稲ワラで、しています。今日は、つなひきの由来について、話してあげましょう。ンカシ、ンカシヌ話やしが、上ぬ村の田んぽという田んぽ、畑という畑に害虫が発生し、作物を食いあさったということです。ただでさえ、上納米で苦しめられ、食うや食わずの生活を強いられている百姓たちはどうしたものかと毎日のようにあつまって相談をしました「。ちゃーがな、あの虫どもをやっつける方法はねえんがやあ。」「やちくるしいねえ、ちゃあやが。」「あんやさ、あんやさ。」「だが、焼き殺した虫どもは全部死んでしまうが、わしらの食べ物はみんな、なくなってしまう。」「ちゃあがなーならんがやあ。」なかなか、いい考えがつかづに村人はみんな、困ってしまいました「。そうだー山のウスメーなら、きっとよい知恵があるはずだ。みんなでウスメーの所へ相談に行こう。」口べらしのために、山に捨ててあったウスメーのことを思い出し、みんなで相談に行ったのです。「ウスメー、お願いです。どうか、害虫たいじの方法を教えてくだされ!このままでは、村人が死にたえてしまうだけです。家には、ワラピンチャーが腹をすかして待っています。どうか、いい知恵をかしてくだされ。」ウスメーは、静かに立ち上がっていいました。大きなつなをなって引くのじゃ。そして、かねや太鼓をうちならし、できるかぎりの大さわぎをすること。そうすれば、虫という虫はおどろいて、かーま海のかなたに逃げていってしまうじゃろう。」それ以来、毎年のようにつなはひかれ、飢えて死ぬ人はめっきりいなくなったということです。そうそう、としよりを山にすてるというとんでもない習慣ももちろんなくなってしまったということです。四月五日、空から見おろす七年ぶりの粟国に、懐かしさと不安、希望、その他の感情が入り交じって涙が出そうになった。おかしなもので、島尻地区に赴任希望を出したとき、「もしかしたら、粟国に決まるかもしれない。」という予感のようなものがあり、それが現実になったときには先祖の導きじゃないだろうかと思った。粟国の血を引く私が、教師としての第一歩を島で踏み出せたことは私、そして私の家族にとって非常に意義深く感慨深いことなのです元。気いっばいの子どもたちと素朴な島の人々、それにすばらしい先生方といっしょに過ごす毎日に恵まれた自分を見い出しています。教師としては一、子どもたちと共にがんばれる先生二、気軽に話しかけられる先生をめざして