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「黎明期の粟国」の著者で、1904年4月22日生まれで粟国村字浜出身。1924年、沖縄師範学校本科第一部を卒業し、粟国尋常高等小学校訓導、東京・千葉・沖縄で教諭を勤め、その後教頭・校長へと昇進。一生涯教育ひとすじに貢献した。「黎明期の粟国」...
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1959年に沖縄配電に入社し、復帰に際に再編された連合沖縄の初代事務局長を務めた。
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伊良皆ウシとカマーの長男として、大正6年3月12日沖縄県尻部粟国村宇浜304番地に生まれる。昭和6年粟国村から、向学心に燃え、単身で大阪に渡り働きながら夜間学校へ通い、昭和12年に大阪商工校夜学部を卒業し、航空隊に入隊する。しかし戦闘におい...
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那覇にあるお寺に住職中だった雲水和尚は、他寺の僧と水面を下駄で歩けるかという問答になり、結果、賭けに敗れて粟国島へ流刑に処された。雲水和尚は東岸のボージャーイノウに辿りつき、その後北岸にある洞穴にて読経三昧で過ごし、ここで生涯を終えたとされ...
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明治9年(1876年)、粟国村宇西(屋号ダイジ大ヤー)で生まれる。兄弟が多く貧しかったので、年頃になると出稼ぎのため、久米島仲里村真我里に行き、同所で妻子ができる。明治38年5月26日、那覇市に住み、山原船(宮城丸)に乗り込み雑貨を積んで宮...
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1712年(尚益3年)、久米島に桑を植え蚕を養い、紙綿の製法、樹皮を用いて紙を作ったと伝わる。さらに、翌年に至り粟国・渡名喜島に初めて、桑植・養蚕と綿の製法を伝えたとされる。なお、琉陽・沖縄県の地名・琉球国由来記を備考している。富村親雲上の...
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18歳の頃、島の番所では首里に送る奉仕の人選をしており、文句なしに選ばれ、しかも格式の高い時期国王がいる中城御殿に配置されたことから期待以上の人物と思われた。首里城下の中城御殿で奉仕の仕事をしながら自力で学び、実力を発揮して才能が評価される...
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沖縄県内におけるそば屋の開業は明治中期と云われ、沖縄そばは、その名称についても変遷があるが、時代の進化とともに県民食として各家庭や大衆食堂等で身近に食されるようになった。明治28年に粟国村宇西で生まれた新里有一郎は、15歳の頃は漁師として働...
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父が料理人で、自らも調理師であったが仕事の傍ら沖縄関係の資料探しにのめり込み、個人誌「琉文手帖」を発行するまでになった。きっかけは大阪で「沖縄関係資料室」を主宰する西平守晴との出会い。大阪市内の図書館で明治以来の本土新聞のマイクロフィルムを...
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父が料理人で、自らも調理師であったが仕事の傍ら沖縄関係の資料探しにのめり込み、個人誌「琉文手帖」を発行するまでになった。きっかけは大阪で「沖縄関係資料室」を主宰する西平守晴との出会い。大阪市内の図書館で明治以来の本土新聞のマイクロフィルムを...
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新城利彦は、大正4年11月14日に粟国村宇東で生まれ、昭和16年3月に京阪商業学校を卒業後、昭和18年9月に関西大学専門部法律学科・法学部や京都大学院を経て、琉球大学の社会学部助教授、昭和33年10月には琉球大学文理各部教授や評議員として活...
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大山在番の指揮を仰ぎつつ、松の造林を焼き払ったという免罪で粟国島へ終身流刑に処されたが、その後、事件の真相が明らかとなり久米島へ11年の流刑に減刑された役人。その流刑中に詠まれた詠嘆詩に八重山民謡「いやり節」がある。“いやり”とは伝言のこと...
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1957年に貝塚や遺跡の調査を行い、西御願貝塚と粟国島で最も大きく最も古い遺跡である巣飼原貝塚の発掘報告をした。また1961年8月には、巣飼原貝塚の一部発掘調査を行った。
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観音碑(石碑)は、中国の年号大清康煕三十一壬申立春、花城光門と書かれ、1692年2月花城光門と首里王府が島に派遣した粟国島(花城)地頭職の花城光門(翰カン氏)の観音碑と判明する。梵字の観音碑では沖縄最古の年月が明記され、粟国最古の遺産だが、...
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島の学校に通う生徒たちで読み書きのできる人は少なく、心ある先覚者が子弟を那覇へ留学させる事にした。そこで最初の正式の留学生として、粟国でも名家の御曹子で後に村長に就任した浜川信吉が選ばれた。浜川は那覇尋常高等小学校に在学中、国頭への修学旅行...
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明治33年に粟国村に生まれ、その後沖縄本島の国頭へ移住。昭和13年に那覇市に転出して製材製粉を創業し、終戦翌年に沖縄実業(旧沖縄木工所)を創立した。
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1973年から4期16年市議を務め、任期中には知的障害児と情緒障害児の育成事業に尽力した。
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1659年、粟国島地頭代・与那城は王府から預かった流罪人が畑のことで文句ばかり言い口論が続き、百姓達もみんな困っていた。与那城は、お役人の景條様へ相談したが乗ってくれずと失望した。そこで与那城は、次の手段を考えて実行した。彼は、知恵を絞り書...
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1858年(安政5年9月)に粟国島の宇東で生まれ、24歳~57歳までの期間政治に関わり粟国島を興した。沖縄県における、標準語を正しく解することのできる最古老であり、政治の経歴としては、1882年(明治15年、6月14日)に粟国島大掟心得を皮...
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海に囲まれた沖縄には、水産の宝がありながら業界の一部は手をこまねいて帰るような状況があり、与那城堅作はこの実情に発憤して水産界で健闘した人物である。結婚後に水産学校に入学した第1回の卒業生で、卒業後は終始一貫水産業に従事し水産界のため献身的...
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