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  • 調査番号:002-00000697
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慶長の検地(けいちょうのけんち)

検地とは、田畑を調査・測量し一反ごとに区別し確定させていくこと(段別)。琉球において検地が行なわれたのは、慶長15年からである。島津氏は竿入奉行伊知重房等14人、役人168人を派遣し、地方の村立段別及び石高を定めた。そして翌16年5月には検地を完了させ、検地帳270巻あまりを作成し、琉球王国の石高8万9,086石を定めた。寛文12年の粟国村の割当ては、耕地面積400町歩、穂高727石。

基本情報

カテゴリ 歴史・民話 :その他 時期 新暦:
開催地 発祥時期 時代・年代: 不明  
参考文献 粟国村誌

概要

慶長15年から始まった検地のこと。翌年5月まで島津氏を中心に検地が行なわれ、検地帳270巻あまりが作成された。粟国島の割当ては、耕地面積400町歩、穂高727石となった。

『その他 』の収蔵品

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