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  • 太古の時が息づく粟国島

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  • 草戸ウガン周辺遺物散布地

    西部落西側の雑木林に広がる遺跡散布地で、美ら島あぐにクリーンセンターもその地域内にある。散布地の西側には草戸原洞穴(アンジェールガマ)遺跡があり、土器片と石器だけが発掘されている。また南側には松尾原洞穴(ハバサルガマ)遺跡があり、カメ型、壺...

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  • コーヒチャー

    元々は火山の島だった粟国島。島の南西側には火山灰が積もってできた凝灰岩の崖があり、その凝灰岩のことを、粉をひくような柔らかい石という意味で「コーヒチャー」と呼んでいる。昔はチョーク代用として使われていたり、拝所の香炉など生活の至る所で活用さ...

    カテゴリ:遺跡 ・ 遺物

  • 坂木那原海岸景勝地

    坂木那原海岸一帯はメーダッシ(岩山)と称して、硬状の岩石、船着き場、フキガマ等があり、2つの岩石は海水の浸食作用によって柔らかいところが削り取られ残ったところがこの2つの岩石。西方に進んでいくと、安山岩の大きな塊や凝灰岩、フキガマ(洞穴)や...

    カテゴリ:遺跡 ・ 遺物

  • 照喜名原砂丘遺物散布地

    粟国島における考古学調査の最も初期に行われた調査(1957年1月)で確認された遺物散布地である。調査人は当時糸満高校教諭であった新田重清氏である。照喜名原砂丘は、俗称ウーグの浜とも呼ばれている。数日間にわたる調査においてこの照喜名原砂丘の他...

    カテゴリ:遺跡 ・ 遺物

  • 浜遺物散布地

    浜部落の北方から東方にかけての砂丘畑地に形成されている。一帯は俗称謝花原、金附名原、武座地原と称され、浜部落の西側に南北に走る隆起珊瑚礁の東側に位置し、広範囲に遺物が散布する。散布量は極めて貧弱で採集困難な状態である。採集遺物は、土器、石器...

    カテゴリ:遺跡 ・ 遺物

  • 浜崎原遺跡

    粟国港のすぐ北側。その北側には、東遺物散布地、北東には浜遺物散布地がある。浜崎原の慰霊塔付近からは、石斧が採取されている。これは、宇佐浜期の石斧であったと考えられるが、現状で見ると敲石等に転用されたものと見られる。これは粟国島では産出しない...

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  • 松尾原洞穴遺跡

    洞穴内は入口をのぞくと浸蝕を受けており、雨が降ると水の通り道となっている。
    遺物としては、後期終末の土器とみられるくびれ平底の土器があり、胎土には石英の細片等混入物はなく、巣飼原の土器とは様相を異にする。焼成のよい硬質の土器である。
    そ...

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  • 港原遺物散布地

    浜地区の南、粟国港の東側、運ん崎の北側にある遺跡散布地。南北200mくらいとそんなに広くはない。北側の砂丘畑地には浜遺跡散布地が広範囲に広がっている。土器や石斧が発掘されているが散布量は極めて貧弱である。また東側には島の東岸の砂丘地域に南北...

    カテゴリ:遺跡 ・ 遺物

  • 番屋原の広場景勝地

    番屋原の広場とは島の南西端の筆ん崎(マハナとも言う)一帯を言い、島で最も見晴らしの良い場所です。番屋原とは、この広場周辺の原名である。
    この広場は凝灰岩上にあり標高約87メートルで、東方向と北方向は高さ約数10メートルの崖が続き、特に東方...

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  • 海底遺跡

    最近地元のダイバーにより発見、撮影された。この「海底遺跡」については、「昔の漁 法のひとつ」とか「トゥージの製作の跡」などの説があるが、真実は謎に包まれている。

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